vol.15合評

 

 

「ぼくの小学校は笑顔であふれています」長尾早苗

 

◆秘密結社という言葉にやたらと惹かれていた小学生時代を思い出しました。あの日ほどでないとはいえ、私は今でもわくわくします。

 あれをしちゃいけない、これをやっちゃいけない、大人は子供に向かってあれこれ言いますが、当の本人たちにとってみたら余計なお世話だってもんです。そんな自立心の芽生えというか、ささやかな反抗というか、言われなくたって自分たちだってちゃんと考えてるし、思うことがあるんだよ! という力強さ、生命力の強さを感じました。表立ってはしかつめらしい顔をして、しかし監視がないところでは自分のやりたいように笑っている。時と場合を鑑みて顔を幾つも使い分けているこれは、大人から見たら小癪な真似かもしれませんが立派な処世術だなあと感じました。こうやって成長していくんだよなあ、とも。

 ある冬の日に、穴を掘って笑い声を埋めたといたずらっ子の三人。「王様の耳はロバの耳」のオマージュだなと気付いたのですが、寓話では広まってしまった以上、もう秘密を隠す必要もなくなってしまったと王様は吹っ切れることができました。しかし、この声にすら気づけない教師たちは果たしてどうなるのか。同じ土俵にすら立てていない気がしていますが、きっと彼らが気付いたときにはすでに、彼らの小学校は笑顔であふれているのだろうなと思います。

(横井けい)

 

 

「次はどの星で会おうか」新名ちか

 

◆近未来の中で閉じ込められた男女。拾われてきた女の子に「ネコ」と名付けるネーミングセンスがいいなと思いました。明日地球が終わるとしたら。そんなセンチメンタルな質問に、徹底的に向き合った作品だと思います。  

(長尾早苗)

◆半年後、カチコチに凍ってしまう未来が確定した地球と、世界の終わりを見つめることに決めた二人を穏やかに描いた話。相手の事を思いこそすれ、自分が生き残ることなど微塵も考えていないことに少しだけ背中が寒くなりました。感覚的には深海のカメラでひたすらマリンスノーが積もっていく様を見ているような心細い心持ち。そこにあるのは何もかもが真っ白に覆い隠された穏やかさだけで、それが少し怖いような、でも二人だからきっと温かいのだろうなと思います。

きっとこの二人は地球が凍ってしまう日までいつも通りに過ごして、もしかしたら前の日に少しだけ難しい顔をして来世での待ち合わせについて話すんじゃないかなというような気がしています。次はどの星で会おうか、というタイトルがとても素敵です。    

(横井けい)

 

 

「本の虫」空師どれみ

 

◆アンキパンが効果的に使われていました。本の虫という昔からあることばが具現化したら。江戸川乱歩の「蟲」も下敷きにしていて入り込めました。

(長尾早苗)

◆文芸創作ほしのたねは学生と大学OBが入り混じったサークルである。その中で、筆者は現役の学生であることを先ず記しておきたい。小説を読む上で、筆者の情報が必要かというと断言はできない。ただ、それを知ることによって、小説自体に新たな色味(付加価値)がつくのではないかと思う。

 話を本作について移そう。本作は「本の虫」という大変ストレートなタイトルから、どこか鬱々として寂しげな雰囲気が続く作品となっている。主人公は小学生だが、「元気で明るく無邪気で感情の起伏が激しく子供っぽい」という一般的にイメージされる小学生ではない。周囲や大人に対して、どこか猜疑心を持っている。とはいえ、自分を理解してくれる(であろう)おじさんに対しては心を開き、どこか憧れのような念を持つようになる。この辺りは、世間に理解されづらい子供が陥るパターンの一つでもある。

 本作で特筆すべきなのは「おじさん」という存在だ。おじさんのプロフィールというのは簡単に語られるのみで、本屋の代理の店主というだけである。後半、ショッキングなイベントの後、主人公の僕は作中でこう語っている。「僕はおじさんのことを何も知らなかった。名前も、歳も、今まで何をしてきたのかも何も知らなかった」

 主人公がおじさんの存在を知り、エンディングに至るまで過程はさて置き、本作の8割はそうしたおじさんと小学生の僕との会話が終始続く。本にまつわることだ。本に対する熱意であったり、話の内容による倫理感であったり、読書を趣味とする人には心が揺さぶられるものであることに間違いはない。唯一おじさんの情報として明かされるのは、兎に角本が好きであるという一点のみだ。本が好きで好きでたまらず、一日中本を読んでいる人のことを「本の虫」と呼ぶ。その点では、おじさんは本の虫だと言えるだろう。そして、そんな本の虫のおじさんの語る独自の理論に主人公は惹かれ、自身も本の虫になっていく(かどうかは、本作を読んでいただきたい)。

 総括すると、少し乱雑な箇所もあるが作品自体は非常に完成されている。二人を結ぶ本というアイテムについても筆者の深い知識のお陰か、無知な自分でもすんなりと理解することができた。また、文体も味があって良い。

 現実のような、非現実のような、でも確かにこの二人のような人間は存在しているのだろうと思わせる作品でした。次回作も楽しみにしています。

(灰音ハル)

 

 

「ゼンマイ仕掛けモノクローム」月城まりあ

 

◆アンドロイドが共生する未来。15年したら記憶をデリートしなければならないという設定と、アンドロイドの一人称で語られる記憶がクライマックスになって泣けました。ネイルが効果的に使われているのもよかったです。

(長尾早苗)

◆あなたに幸せになって欲しい、行く先に苦しみなんてあって欲しくない。お互いがお互いのことを大事だからこそ、エゴだと解っていてもそれを押し通したかったりする。

 15年を一緒に過ごし、確かな信頼と友愛で結ばれた人間の塔子とアンドロイドのシロ。彼女たちが直面したのは、十五年ごとに行われる記憶のデリートというアンドロイドの機構。人格の消滅、生き物ではないはずのアンドロイドの死とも言えるそれを彼女たちはどう受け入れるのか。

 シロから塔子さんに向けられた感情があまりにもまっすぐでひたむきで愛おしい。旅立ちのシーン、「名前をくれてありがとう」からずっと涙が出そうになっていました。さよならを言ってないんですよね、この二人。「行ってくるね」「気をつけてね」というやりとりが胸と涙腺にきました。BUMP OF CHICKENの「ひとりごと」を勝手にテーマソングにしています。     

(横井けい)

 

 

「もぐり酒場」藤澤静雄 

 

◆アメリカの翻訳小説を読んでいるかのような錯覚に襲われました。たくさんの翻訳本を読まれてきたのだろうなと思います。日本というくくりを飛び越えた中でできる表現の幅にうなりました。

(長尾早苗)

◆ハードボイルドな書き出しから引き込まれる、紫煙とアルコールの香り漂う異空間。巻き込まれ型主人公、ジュリアンは一見考えなしの若者のようだが、彼なりの正義はきちんと貫いている。彼を見守る謎めいた探偵クリスティは文句なしに格好いいが、更に魅力的なのは自由なフラッパーの女王アンナ、そして途方もない夢を見たマフィアのヘンリーだ。恋人も一族のしがらみも捨て去り、我が道を歩むアンナの目にはどんな未来が映っているのだろう。もしもジュリアンがヘンリーの申し出を受けていたら、そしてトゥッチ・ファミリーとファネッリ・ファミリーの全面戦争が起こっていたらどうなったのだろう。事件を未然に防いだのはクリスティの功績だが、この物語はもっと長くなっていた可能性もある。個人的には、ジュリアンが家族の決められたレールに反発し、『面白そうだ』とヘンリーと手を組む展開も見てみたかった。

(暁壊)

 

 

「トリガー ―バス停の二人―」暁壊

◆ヒモの男とギャンブル中毒者の男。うわあどっちも嫌なやつだなあと思いながら読んでいました。「女の敵」である二人が、一人の女に翻弄されていく……どんでん返しに舌を巻きました。

(長尾早苗)

◆顔と名前以外は知らないけれど互いに嫌な奴だと認識している二人の男。何の接点もないと思っていた二人の人生が、実は繋がっていたと分かったとき、二人はどうなってしまうのか? 

 一度読み始めると緻密なストーリー構成と、冷淡にさえ感じられるドライな表現が独特で強烈な存在感を発揮し、冷たい雨に閉じ込められたバス停に自身も引き込まれて離れられなくなる素晴らしい作品でした。

 人生どん底状態といっても過言ではない卓也と正一の二人には、夜明けの先にどんな展開が待っているのでしょうか? それとも正一がいうように、夜明けなんて来ないほうが二人にとっては幸せなことなのでしょうか?

 答えは文字通り闇の中、読み手は想像するしかありません。二人はアンダーグラウンドから脱出できるのか、それとも己の意思でそこに留まり続けるのか、その後の展開も非常に気になりますね。

(藤沢静雄)

 

 

「インサイドアウトサイダー」錦織

 

◆ヤクザや暴力、実際に起きているかもしれない出来事。夜の街。決して健康的ではないにしろ、魅力的な要素が詰まった作品でした。最後の一行に引き込まれました。        

(長尾早苗)

◆舞台は新宿・歌舞伎町。今どき怪談なんて流行りもしないだろうが、ここではとある男の存在が、都市伝説のように噂されている。左目の下の頬に、縦一直線の傷がある男。もし遭遇してしまったら、なるべく大人しくしていること。決して関わろうとしてはならない。

 まるで悪魔か何かを躱すようで、部屋の隅でガタガタ震えながら神様にお祈りしなくちゃと思うほど危ない匂いのする警告。その噂の中心にいるのが本作の主人公:巣組巴。噂に違わず、ぶっ飛んだ怪力の持ち主で、プッツンすると誰にも手が付けられない。素手で建築物を引きちぎるわ、人体破壊しちゃうわ、暴力の権化のような人物です。しかし、親父どのを心の底から慕っているようで、夕飯に誘われてまるで子供のように無邪気に喜んだりもする。そこが違和感なく同居するアンバランスさやギャップが彼の魅力であり、同時に恐ろしさなのかもしれません。彼が人を始末するとき「お疲れ様」と言うのも、何だか軽い調子がして薄ら寒さを感じました。

 毎回暴力描写が生々しくて、誌面を読んでいるだけで該当の箇所がビリビリと震えるような気持ちになります。端的な描写ながら鮮烈なイメージを伴っているので痛くて痛くて……!

 巴さんのやっていることが非常階段をもぎ取ってミンチを作るという現実離れしたことなのに、その後の描写が妙に生々しいので一際印象に残る理不尽さが際立っているように思いました。すでに人対人の人的災害というより、自然災害的な一方的な蹂躙でしかないな、などとぼんやり思っています。ぼたぼたとした粒の大きめな白い雨で彼の姿が煙るのも、怪物じみた彼を表わす良い演出だなあと思いました。      

(横井けい)

 

 

「レイト・ショウ・タイム」上嶋千紘

 

◆サド的要素、秘密結社、映画……近現代の変態文学的要素をふんだんに取り入れた、文学論にあふれた作品でした。とてもよく研究されていて練られていました。夢の中と現実が倒錯するのも面白いです。         

(長尾早苗)

◆冒頭、主人公の目覚めが冷えきった浴槽の中、というのがこれからはじまる物語のどこかぞくりとさせるような世界観とマッチしていて、読み返した時にここから世界観は始まっていたのだなあと感動しました。商店街を抜けた住宅街にポツリとある廃墟めいた名画座、時代を感じさせるとともに、舞台設定の不思議なリアルさが読んでいてイメージしやすく、すぐに物語の世界へ入り込んでいきました。夢の中で見る世界は現実の世界とはうって変わって、洋風でゴシックな雰囲気が漂いますが、文章や言葉の空気感が現実世界と統一されており、夢なんだろうか、現実なんだろうか、と謎めいた雰囲気が増していくところがとても面白かったです。途中から登場した十子が物語をどのようにかき回していくんだろう? とわくわくして、読み進んでいった先に待ち受ける結末。結末に向けての展開には思わずぞくぞくとしてしまいました。ダークでゴシックな世界と、どこか乾いて虚無感漂う世界、二つの世界の中で進行していくストーリーが最後にかけて盛り上がっていく緊張感がとても素敵でした。          

(新名ちか)

 

 

「ワンダリング・ゴースト」横井けい

 

◆父から子へつながる、夢のような現実の話。戦場の逸話もぴりりとしたスパイスのように効いていました。せりふ回しが面白かったです。   

(長尾早苗)

◆ワンダリング・ゴースト(さまよえる幽霊)の言い伝えがある地域のお話。胡散臭いが実際に存在している不老不死のワンダリング・ゴーストであるヤンが、長年憑いていた「先生」こと語り部の少年エルジェの祖父の家の整理をしながら、思い出話や彼の過去について語っています。

 幽霊なのに料理をしたり食事をしたりと妙に人間臭さがあるヤンですが、長年語らなかったその生い立ちは凄惨なものであるというギャップに魅力を感じました。生まれた村を戦争で焼かれ、兵士たちにもののように扱われ、友と姉を失くし、逃げ延びた先でも薬に溺れながら人を殺して金を作り、その日をしのぐ生活をしているなか先生に出会ったヤン。先生曰く昔は寡黙だったけれど、幽霊になってからとてもおしゃべりになっていたのは、死んで初めて人間らしい暮らしができたからなのかと思い、胸が苦しくなりました。生前できなかったことを取り戻すかのように過ごしていたヤンだからこそ、墓標の名前を見ただけでその人との思い出を語れるくらいに他者との関わりを大切にしていたのかなと思います。

 先生の目の前で自らの首を掻き切って死んだヤンの心が生まれて初めて満たされたのは、誰にも「個」として認識されず、人として扱われずに過ごしていた(彼を人として大切に思っていた人間はみんな死んでしまった)彼が最期に先生に自分の存在を認めさせ、植え付けることができたからなのでしょうか。そのやり方がとても乱暴で自傷行為としてしかできなかったところからも、彼が他人との距離の取り方が下手くそで、それでいて他者と関わるのをとても恐れていたからなのかとも思います。

 悲惨な過去回想と、アルバムをめくるような温かさがある穏やかな現在が交互に来る構成が互いのシーンを引き立たせています。多くは語られていないところや、ヤンが旅に出る理由がぼんやりとしているところも、彼の幽霊としての不確かさを示しているようです。もしかして、昔の先生みたいに旅の医者になりたかったからだけど恥ずかしくて言えないだけとか……?

 ひまわりの花言葉にも色々考えさせられるものがあります。もうヤンの本当の名前を知るものもいなくなった世界で、自分という存在の種を世界中に植えながら旅をしていくヤン。今日も世界のどこかでひまわりを育てる彼の旅路に、幸が多いことを願うばかりです。 

(錦織)

 

 

「新宿の穴」黒間よん

 

◆新宿の男性外来とブラックジャックのような医師、セクシュアルな描写が生々しく描けていて感嘆しました。男性を客観的に見つめられる視点と書く勇気が要るテーマだと思います。

(長尾早苗)

◆無認可で経営される男性専門生殖器系の診療所、そこの主である「先生」と助手を名乗る男娼の青年・マリがこの話の主要登場人物。

 タイトルにある「新宿の穴」はこの診療所の通称で、何でも捨てられる廃棄穴、どうにも行き場をなくした者たちが身を寄せる穴蔵のことでもある。この「穴」というモチーフがおっかなくて、でも救いがあるようでもあり、絶妙だなあと感じました。ここで色々と重ねられている穴なんですが、外から放り込まれる時は黒々と口を開けている入口であり、一度落ちてしまえば一条の光が差し込んでくる出口でもあると思うんですよね。それが性的な描写と化学反応を起こして、胎内巡りのような、腹の底がざわつく神々しさを感じました。   

(横井けい)

 

 

「鳥籠の天使」猫山桃尾

 

◆アヘンと貴族。相容れない二つのモチーフを見事につなげられていてよかったです。伝説にまつわる謎も面白かった! キャラクター設定がうまいなあと思いました。         (長尾早苗)

 

◆日曜日の夜、貧民街の寂れた教会から天使の歌が聞こえるのだという。事件の匂いと奇妙な噂、その真偽を質すべく、ブリジットはスラムに足を踏み入れる。

 勝手にヴィクトリア朝あたりの退廃的ゴシックホラーの気配を感じて興奮しました。身分が高く腕っ節も強い少女ブリジットに、そのバックにいる女帝様や枢機卿、過酷な環境で生き抜いてきた孤児のアヴィ、物語のキーとなった異国の少年。台詞回しに少々粗削りさも感じましたが、キャラクターがとても良いです。

 個人的に推理パートがもうすこし厚いと嬉しいなと思うのですが、バトルあり探検ありで(カタコンベの発見、めちゃくちゃ好きです)とても面白く読ませていただきました!    (横井けい)

 

 

「あの日のトナカイ」灰音ハル

 

◆赤鼻のトナカイの童謡から、この発想はなかったなあととても勉強になりました。発想力がずば抜けています。死体遺棄という恐ろしいことを平気でしてしまう人間たち。消えた赤鼻の弟。妖しくて怪しくて怖い小説でした。(長尾早苗)

 

◆あの雪山には、トナカイの死骸が眠っている。

 そんな冒頭から始まるこの物語は、どこか寒々しい気配に包まれています。作中の季節のせいか、雪山のせいか。それよりも、時に心の奥底までを見せられたかと思えば、時に暴力的に突き放されるような、淡々とした場面の切り替わりがそう思わせるのかもしれません。

 息もつかせないような展開のおしまいが、はじめと輪っかのように繋がっている構成に心地よさを感じました。

雪山の白い情景に、藤田の赤く燃える義眼の描写が印象的でした。

(空師どれみ)

 

「柿太郎」河合舟

 

◆二つの昔話が輪廻転生で複合的に連なっていて面白いです。柿から生まれてしまったがための業、鬼の女との関係、もう一つの人生(人と呼べるかどうかはわかりませんが)。この作品も続きがありそうなところで終わっていて、ユーモアが伝わってきました。  (長尾早苗)

 

◆柿から生まれた柿太郎。父の敵討ちに鬼の元へ乗り込んだはいいが、果たしてその腹積もりは……?

 数奇な運命に身を投じた男の一生とそれからを描いたお話。青柿から生まれてしまったばっかりに母は死に、そのせいで親父は酒に溺れる日々、自分はせめてもの償いにと朝も夜も働いて働いて働いたとある日に、父は美しい女の鬼に食われて死んでいた。少しずつ石垣を積み上げるような、ともすると淡泊とも取れるような文体で綴られていくのが異様な雰囲気の醸成に一役も二役も買っている気がしています。父親が死んだその日を指して「春が来た」と描写するの、空虚さを感じて好きです。痺れました。

(横井けい)

 

 

「それでもおとなになるってこと」

三瀬透

◆大人って、嘘をついてもいいんですよね。子どもには分からない心理で真理だと思います。「それでもおとなになるってこと」。一人を好むこと、適当に相槌を打つこと。子どもから大人に差し掛かるころのことが思い出される作品でした。

(長尾早苗)

 

◆帰省した三日間の中でゆりちゃんの成長がしっかりと描かれていて、受験勉強に身も入らず帰省先でも疎外感を感じてしまったスタートから、あゆみちゃんとの交流を通して自分から勉強しようと思えるようになる流れがとても自然で優しい気持ちになりました。

 方言があることによって、標準語のゆりちゃんがよりよそ者っぽく見えるのがいいなと思いました。

 田舎の穏やかな空気感と、そんな田舎も少しずつコンクリートなどで自然が壊されて変わりつつある描写が現実的で。あゆみちゃんがおばあちゃんたちの家に馴染んでしまっていた人間関係の変化と、そういった自然環境の変化、どちらもゆりちゃんが知らない間に起こっていた変化であり、変わってしまうことへの寂しさが上手く描かれていました。

 また、ゆりちゃん自身も無自覚のうちに変化していて、本人は否定しているものの両親が大人になっていると言ったのは確かなことなのだと読み手に伝わってくる作品でした。

「焼けてない肌がちりちりと浮くように光っていた」という光に当たった素肌の表現がとても綺麗で印象的でした。

(月城まりあ)

 

「或る夏」mēi

 

◆切ない……恋は人を狂気に陥れます。次々変わる語り手が同じ時間、同じ人、同じ場所を共有していて面白いと思いました。ストーカーになってしまった男の子の気持ち、少しだけわかる気がします。

(長尾早苗)

◆たった三人だけの世界で起きた「或る夏」の物語。

 一言で表すとシンプルな説明になってしまうが、この三人の関係はそれぞれ一方的で自分勝手なもので、それでいて非常に繊細で鬱屈としたもの。

 主人公の女子大生カレンと幼馴染の青年ユキの関係、ユキと元バスケ部の後輩マサキの関係、そしてカレンとマサキの関係。それぞれが抱く思いは前述した通り一方的で、相手のことを思った感情はそこにない。

 非常にリアルで生々しい感情が十二ページの中に綴られているものの、不思議と後味は決して悪くはない。始まったようで始まってはいない、終わったようで終わってはいない、どっちつかずではあるものの、人生とは往々にしてそういうものではないかと納得した自分がいるからだ。

 読者が納得するようなリアルで自然なストーリーラインで、かつ話の雰囲気に引きずられないテンポが非常に読みやすく、完成度も高い余韻のある作品。

 個人的に次回作が非常に気になるところ。とても面白かったです。(河合舟)

 

 

「明治とりかえばや奇譚」涼風弦音

 

◆文豪と画工の心と体が入れ替わったら……色彩と語感、文字とあいまいな光。一応絵の仕事のようなものもしているので、すべてがことばになる感覚や色彩感覚のズレのようなものはわかる気がします。それを表現できたのはすごいなあと舌を巻いてしまいました。(長尾早苗)

 

◆明治時代を背景に、売れっ子文筆家と画家の卵が体験した数日間のお話。

 読み終えた後の満足感がとても高かったです。とりかえばや奇譚とのタイトルが示すように、作家と画家の体と中身が入れ替わるのですが、彼らのアンテナの張り方の違いといいますか、見ている世界の違いが鮮やかに切り取られていると感じました。個人的に一番好きだったのは葉織が見た夕暮れ空のシーンです。今までは感覚として曖昧に捉えていたものに名前がついた瞬間の衝撃というか、感動というか、ふと腑に落ちてしまった感じが過不足なくそのまま表わされている気がしました。

 言葉って難儀なもので、それを表す丁度良い言葉はあるものの、そうすると今度はその辺縁に広がる微妙なニュアンスが零れ落ちてしまう気がしています。その違いを丁寧に描いた作品だと感じました。          (横井けい)